トシchannel

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とある雪国でのびのび暮らす自由気ままな医学生。部活も引退して自由になりすぎてブログを始めました。ゆるく読んでね。

【小説】本当の色pert6

これは8章に分けた小説の六話目です。まとめページこちら

16時30分

【関口きらの回想】

「私はね、中学3年生の時にこの八戸村に引っ越してくる前はいろんな街を転々と引っ越していたの。お父さんが異動の多い仕事だからね」

「全校生徒80人の八戸中学校に転校生がやってくるって、村のニュースになったもんな」

「そうだったよね」

 でも私は、全然転校が楽しみじゃなかった。一年でまた別の場所に移動しちゃうことも多いから友達作りもあきらめていた。自分がクラスの中で浮いた行動をとらないようにみんなを観察するので精いっぱいだったんだ。

 でも、昔からこんな内気な性格ではなかった。昔は、私も山下君や「ノグチメイ」のような明るい子供だった。正確には、あなたと付き合っている「ノグチメイ」は本当は「ノグチメイ」ではないんだけど、分かりやすいように「ノグチメイ」のまま話すね。

 私が生まれたのは、仙台市の郊外。今のアパート暮らしとは違い、こじんまりとはしていたものの、一軒家に住んでいた。お父さん、お母さん、わたし「セキグチキラ」そしてもう一人、「ノグチメイ」が住んでいた。

 実は、私と「ノグチメイ」は双子の姉妹だったんだ。お母さんは専業主婦で、異動が多く単身赴任することも多かったお父さんを支え、まだ幼かった私たちの面倒もほぼ一人で見てくれていた。

 一方私「セキグチキラ」は、幼稚園や小学生低学年のころ、クラスで目立つ活発な子でいつも周りに笑顔を振りまいていた。私の周りにはいつも友達が集まってきてワイワイ楽しく遊んでいた。

 小学生のころ一番好きな遊びは、校庭でみんなとのびのびと野球をすることだった。今と違って運動神経が抜群に良かった私は、男子と混ざって野球をしてもいつも4番を任されていた。私が打ったホームランで試合の勝負が決まったことも何回もあった。

 それに対して、「ノグチメイ」は幼いころはおとなしくて、教室の隅から周りの様子をうかがっているような子だった。友達と一緒にいることを好まず、一番好きな遊びは一人あやとりだった。

小学校低学年にも関わらず喫茶店に行くと毎回ソイラテを頼むから、店員さんに毎回

「メイちゃんは大人っぽいね」

 と言われていた。

 私たちの周りの人はわたしたち「キラ」「メイ」の性格がこんなにも違うことに驚いていたに違いない。なにせ、私たちは顔も背丈も瓜二つの一卵性双生児なのだから。お父さんの口癖は、

「君たちの性格がもし全く同じだったら、お父さんでも見分けられないかもな」

 だった。

 こんなに性格の違う私たちだったが、仲はとても良かった。だって、自分と同じ顔をした相手がもう一人いるんだもの。私たちは二人で一つのような気がしていた。だから、放課後毎日家の庭で二人でキャッチボールをした。「ノグチメイ」は運動神経はあまり良くなかったから、彼女が投げるボールは私に直接届くことはなく、毎回ワンバウンドしていたが。

 そんな楽しい日常が崩れたのは小学校三年生の時。あっという間だった。

 今、振り返ってみると、もうちょっと早くお母さんの異変に気付いてあげられればこんなことにはならなかったのに。後悔しかない。

 当時、お父さんは度重なる異動の末、遠く関東の地で単身赴任をしていた。そのため、お父さんが仙台の家に帰れるのは一カ月に一回ほどで、お母さんは、一人で私と「メイ」の面倒を見てくれていた。毎日ご飯を作って洗濯をして、やんちゃな私の遊び相手にもなって、学校のPTAや地域の仕事もこなして。今考えてみると、お母さんは疲れから家の中に引きこもりがちになっていた。

 でも、私はお母さんの変化に気づけなかった。毎日おいしいご飯が出てきて、きれいな服が着れるのが当たり前だと思っていた。

 事件が起こったのはある放課後、いつも通り私が「メイ」と庭でキャッチボールをしていた時のことだ。

 よし、あと一球で終わりにしようと「メイ」に思いっきりボールを投げた時、手からボールがすっぽ抜けてしまった。

 ボールは「メイ」のはるか頭上を通り過ぎ、家の方に向かっていく。次の瞬間「パリン」と大きな音がして、家の窓ガラスが粉々に砕け散った。

「お母さんに謝らなきゃ」

 そう思って家の中に駆け込んだがそこで見たのは予想だにしなかった光景だった。お母さんが割れた窓ガラスにまみれて、血まみれで縁側に座っていた。目はどこか遠くの方を見ていて、焦点が合っていなかった。私は茫然とその場に立ち尽くしてしまった。

 「メイ」が悲鳴をあげ、近所の人達が救急車を呼んでくれたようだ。次に気づいた時には、私と「メイ」とお母さんは病院にいた。

 お母さんのけがは大したことはないと聞いて安心したが、なぜかお父さんが関東から駆けつけてきた後、しばらくの間私と「メイ」は病室にいれてもらえなかった。

 病室からは、育児の疲れによるうつ病や、離婚といった言葉が両親の会話から聞こえてきた。幼かった私はあまり意味を理解していなかったがなんだか不吉な予感がしたのを覚えている。

 そこから事態は急速に進んだ。お母さんのけがから一カ月もしないうちに両親は離婚することが決まった。お母さんの変化にもっと早く気づいて、優しくできればよかったと著しく後悔したがもう遅かった。私たちはどちらかがお母さんに、どちらかがお父さんに引き取られることになった。

 ここで、種明かしをしよう。実は、私は、昔活発で友達が多かった私は、「セキグチキラ」ではなく、関口芽衣だったのだ。運動神経が悪くて、おとなしかった妹が本当は関口きら。

 仕事が忙しくてあまり子供の面倒を見れないお父さんは、おとなしい妹の関口きらを、うつ病のお母さんは元気な私、関口芽衣を引き取り、お母さんは旧姓に戻ることから、私は野口芽衣と名前が変わることに決まった。

 それにしても両親がこんなに早く離婚するという結論に至ったことには納得できなかった。やはり、当時の私はお母さんが一人っきりで二人の子育てをする苦労を全く理解できていなかった。

 両親の離婚で私が一番嫌だったのは、あんなに仲良しだった「メイ」、つまりは関口きらと離れ離れになってしまって、ましては妹の苗字まで変わってしまうことだった。顔も瓜二つで、二人で一つだったのに。両親が離婚してしまってはもう妹とは気軽に会えないことは幼心にも分かった。

 だから、私と妹はどうにか両親に離婚を思いとどまって思おうと必死に考えた。幼い頭で必死に考えた。

 でも、離婚の意思の堅い両親の決意を変えるのは私たちには無理だと悟った。でも、せめてもの抵抗で、次のような作戦を考えた。

 私たちがそれぞれの親についていってお別れするとき、私たち姉妹は入れ替わる。私関口芽衣は、関口きらとしてお父さんについていき、妹関口きらは関口芽衣としてお母さんについていき、野口芽衣と名を変える。一週間くらいたって、私は別人よと親に打ち明ける。私たちはここまでしてまで離れ離れになりたくないことを両親に分かってもらうつもりだった。本当にバカな作戦だと思うが幼い私たちにはこの作戦しか考えつかなかった。

 作戦決行までの間、私たちは、打ち合わせを重ねた。私は、おとなしく後ろの席でみんなを見渡すような性格でソイラテが好き。妹は、明るく朗らかな様子で、いつも笑っている。お互いにそう言い聞かせた。でも、私たちはやはり二人で一つで、お互いのことで知らないことはなかったからそんなに苦労はしなかった。そして作戦決行の朝を迎えた。

 私は関口「キラ」のふりをしていつもよりおとなしくお父さんの車に乗り込んだ。妹も同様にうまくいった。お互いの車が反対方向に動き出すと私と妹は車のバックウィンドー越しに目を合わせ、うまくいったと小さくガッツポーズをした。

 車内で私はいつお父さんにばれるのではないかとひやひやしていたが、打ち合わせ通りの演技もうまくいき、なにせ妹と顔が瓜二つのこともあって、全くばれなかった。

 あとは頃合いを見てお父さんに実は…と打ち明けるだけだった。しかし、お父さんは毎日夜遅くまで働き、家に帰るとぐったりとしていて、そんなことを言い出せる空気ではなかった。お母さんも妹を養うために体調を押してパートを始めると聞いていたので、「メイ」も同じ状態だったのだろう。そのままずるずると時がたってしまった。

 初めは妹の真似をして始めたおとなしい性格は、時が経つにつれ自分の本当の性格のようになっていた。父の転勤の度に新しいクラスで後ろから物静かに人間観察をするだけだったので、全く友達ができなかった。妹もいないしとてもさみしい毎日を過ごしていた。

 そんな私の生活に変化が起きたのは、幾度かめの父の転勤先である八戸村に来て一年がたとうとしている時だった。八戸中に来学期の高校入学時から新しい転校生がやってくるといううわさが立ったのだ。ここ八戸村には、小中高と一つずつの学校しかなく、みんなエスカレーター式に進学していた。だから、新しい奴が転校してくるというのは子供たちにとっては大ニュースで大きな噂になる。

 転校してくるというその子の名前を聞いて鳥肌が立った。

「ノグチメイ」

 急いで父に確認したところ、母が突然病に倒れて亡くなってしまい、まだ未成年の妹を一人で放っておくわけにもいかず、八戸に呼び寄せたのだという。しかし、一緒に暮らすわけではなく「メイ」は一人暮らしをするらしい。それがなぜだか気がかりだったが、とにもかくにも私がずっと待ち焦がれていた妹との再会の時なので、高校の入学式にはいつになくうきうきした気持ちで向かった。

 新しいクラスにつくと、もう「ノグチメイ」はクラスの中心にいた。明るく朗らかでみんなに太陽のような笑顔を振りまいていて、すでにクラスのみんなと打ち解けていた。小さいころの私の姿を見ているかのようだった。

中学校の時からクラスの中心人物であった山下賢人とは、特に仲良さそうに話している姿が印象的だった。

 私は、「ノグチメイ」を囲むみんなの輪に入ろうと歩を進めた。

 その時「メイ」と目があった。

 2秒、いや3秒、それ以上目を合わせていたから勘違いではない。

 次の瞬間「メイ」は私から目を背けて山下やその仲間たちとの会話に加わったのだ。

 感動的な姉妹の再会になるはずだったのに。

 私の顔を「メイ」は覚えてなかったのだ。もう後5歩進んで「メイ」に話しかけることも考えた。しかし、人と関わらないような性格になっていた私には、もうそんなことをする勇気はなかった。

「教室の後ろの席に座って「メイ」を観察して、毎日密かに彼女に様子を日記に記す日々が始まったんだ」

 ここまで一気に話し切った。山下は話を遮ることなく静かに最後まで聞いてくれた。特段驚いたそぶりは見せずに、私の話を聞いて何か納得したといった様子だった。

「今度は山下君の番だよ」

 そう促すと彼は静かに口を開いた。もう河原の上のサイクリングロードに小学生の集団下校の列はなかった。

 

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